不登校 月曜日はお休み。
『行かないなら教科書でも読んでおきなさい』
そんな話でもないのです。
教科書開いても頭に入りません。
今、していることに意識を向けることをしてほしい
学校を休んで『行かなきゃいけないのに休んでしまった』『嫌』、もしかすると小さな胸でもっともっと感じているかもしれないし、感じないようにしようとしているかもしれません。
休んだのなら、休んだ今を大切に。
心穏やかに過ごしてほしいのです。
遊びには行けるのに学校には行かないのか、
土日は楽しく過ごしたのになぜ行けないのか、
元気な人はそう思いますが、心の奥にしんどさを抱えている場合は楽しいことがあるからこそ頑張ることもできるのです。
(『土日に遊んで月曜日に学校いけないなら、もう遊びには連れて行かない』となりがちです。行く行かないの罰ではなく、心と体をゆったりと過ごしてほしいと思います。)
楽しいこと(=心穏やかに元気でいることが、できる状況)を制限されると回復する気力もなくなります。また、心が疲れきると楽しいことも勉強する意欲も気力も生まれてはきません。
辛い状況を乗り越える為にも、楽しい経験をしたり穏やかな空間・温かくて安全な場所でゆったりとした気持ちで過ごすことができますように。
満ち足りると、きっと動き出せます。
※学校に行かないことを推奨しているのではありません。学校は、勉強だけでなく同世代の人との関わり、体を動かすことや芸術なども含め、子供たちにとって社会性を身につける大切な場所です。
そこに行きにくい、行けない、行かないのには本人にも気づかない何かがあります。
だけどそれは一つや二つではなく、いろんなことが積み重なってお風呂のお湯がワァーっと溢れ出した時のように表面に表れます。
ここでは、子供の気持ちや目に見えない心の奥にあることを書いています。
不登校に限らず、今しんどいと感じている方々にとって、大切なのは『今をどう過ごすか』だと思います。
確かに休んだ分の勉強の遅れが心配になります。
実際に休んだ分を取り戻すには、勉強が出来る状態でないとなかなか難しいものです。
安心して学べる環境、そして、遅れていても少しづつでもいいから頑張ろうと思えるような周りの温かい理解が大切だと思うのです。
※また、嫌なことがあるから人は改善したり良いことを求めることができます。不快があるから快に変えていくことができます。
どのような経験も大切なことです。
※困り事をそのままにせず、良い方へ向かうことが出来ますように。
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