原因をさがす時。
小さな命にとって、目の前の大人は自分を守ってくれる一番頼れる人である。
…はずである。
しかし、その大人は自分の心配ばかり。
自分の都合ばかり。
自分の感情で毎日変わる。
そんな大人をこどもは無意識のうちに不安に感じる。
大人はこの日常が、こどもに不安を与えていることに気づかない。
親の喧嘩、近所の噂話、学校の不満、職場の不満、親類とのいざこざ。
家のごちゃごちゃが、こどもに影響する。
学校に行くと、友達とのやりとりに疲れ、クラブで先輩との関係に疲れる。
勉強、塾。
家も不安、そこに学校でのしんどさが加わり、元気なこどもも力を無くしていく。
イジメがなくても、疲れる要因は山のようにある。
イジメがあれば、対象者に対しては問題提起する。(イジメの場合の対処法は別です。今回はお家での在り方に視点をおきます)
大人は、細かい要因の一つがまさか自分に関係するとは微塵も感じず、外に原因を探す。
こうなったのは、こどもの発達に問題があるのか、いじめか、友達との関係か、先生か、いや、学校に問題があるのか、いや、今の教育のあり方が…。
外に、外に原因を探す。
たとえそれらのひとつが引き金になったとしても、それに至る要因が重なり合って、ある日ある時表面化する。
不登校という形であったり、家庭内での暴力であったり、自分への痛みの行為であったり。
こどもには、とうに起こっている状況も、大人には形となったとき、目に見える状況になった時にしかわからなかった。
その表面化した時に大人は慌て、気づく。自分に多少なり影響しだした頃に慌てる。
大人が困るのである。
そして、探し出す。
少し厳しい表現ですが、究極のところの捉え方です。
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