信用出来ない大人と、「信じる」ということ①
表面ではなく人の心の奥を感じると、時々嫌になることがあります。
表面では良いように言っていても内側は違う。
嘘や意地悪、計算であったり、社会のルールを守らなかったり。
子供にも人にも偉そうなことを言える大人なんていないでしょう。
そもそも、偉そうなことを言う必要なんてありません。
偉そうなことを言う人ほど内側は違うことになっている。
もしかすると、こう発言している私自身も偉そうなのかもしれません。
しかし、どの時も自分の内側を見ること、どのような気持ちで、意図で行動しているのか、謙虚に俯瞰してみる必要があると感じます。
人生には経験したくないような出来事や、『人を信じることなんてできない』という体験をすることもあります。
その辛さや無力感、生きづらさは察するにあまりあります。
『そう思うのは当然』と言えます。
また、家族への責任を果たさない自分勝手な行動をとる人もいます。
それを改善するために介入したくても、その人自身が自分の在り方を見直そうとしない限りはどうすることもできません。
その本人が気づかない限り難しいものがあります。
しかし、その本人を取り巻く人達が影響を受け、事態を改善したいと感じる場合、本人を変えることは難しくても、周りの人がとる行動によりその人に影響を与え変化させることは可能です。
ただ、口で言う、言って聞かすと言うことではありません。
言うという行為は、人の本質的なことには響きません。
やって見せて、そうだと感じてもらうことからです。
しかも一回ではありません。
諦めずにやり続けることです。
注意されればされるほど反発するのも、人にありがちな思考です。
言うより行動。
やってみせる。
現実を作っていくのです。
親の中には、我が子に対する性的な虐待、ネグレクト、心理的虐待、過干渉、支配で子供の心身の成長に影響を与える人がいます。
それは明らかに毒親です。
これらは、極端なように見えます。
だから『うちの家にはない。よその話。』として他人事になりがちです。
しかし家庭の中には日常的に小さな毎日の嫌味やネガティブな発言、大人である以上持つべき責任感のなさなどで溢れています。
親自身にその自覚もなく、また子供にとっても怒りっぽい親、怖い親、変わった親などと表現されて子供たちも自分の家しか知らないので自分がしんどい状況であることにもなかなか気づくことが出来ずにいます。
溢れていても気づきません。
それが人格形成に影響を与えていることを知りません。
やっている側の『無知』が人生に影響を与えてしまいます。
されている側もやっている側も、家庭という密室ではなかなかその問題に向き合うのは難しいのです。
表面化しにくいからです。
ですが、どうか小さな『いやだなぁ』と感じる違和感や、ふと心が重たくなる感覚を大事にしてほしいと思います。
それは、裏を返せば『違う』と感じているからなのです。
『違う』は日常に溢れています。
『何かおかしい』もたくさんあります。
あなた自身のこと、家族とのこと、友達とのこと、周りの人とのこと、感じてみて下さい。
まずはそれを感じる感覚を呼び覚ますことが大切です。
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