自分のために。
心を整えること、体を鍛えること、内側を磨くこと。
これは自分でそうしようと思わなければ出来ないことです。
ですが、反対に食べすぎた、飲みすぎた、喋りすぎたなどは『つい、やってしまった』と『そうするつもりでもなんでもないんだけど…、ついつい』とたまたまそうなってしまったというようなニュアンスに置き換え、自分の意思ではないように思いがちです。
しかし、それらは人が勝手に口に物を運んだわけでも無理やり食べさせた訳ではないのです。
食べたい、食べよう!と思い、自らの手に箸をとり、食べ物をとり、口に運び、口を開け、噛み、飲み込み…と、一つ一つの動作を細かく見ていくと全てのことを自分で決めてやっているのです。
どこかのタイミングで止めることは可能です。
ですが、なんとなくしている動きを一連の流れとしてとっており、一つ一つが別の動作でそれらの動きの端っこ(始まりと終わり)があることまで感じずになんとなく過ごしている為、『ついついやってしまった』となるのです。
ついついではないのです。
そこをはっきりとさせる必要があります。
全ての動きは、例えなんとなくであっても無意識のようでも自分の意思で自分が動いていると理解することです。
『なんとなく』を『意図的』にするのです。
全ては自分で決めて自分で行動していると理解することです。
全ての動作を意図的にする。
ズボラをするのも、だらけるのも、やっていいのです。
意図的に、体を休め、心をゆったりとさせるのです。
してはいけないと刷り込みがあると、『まただらけてしまった』、『こんなことをしていてはダメだ』となりますが、頑張る時もあれば力を抜く時もあると明確にわかるとそれは必要なことだと気づきます。
意図的にズボラをする。
意図的に何もしない。
刷り込みがあると、これらは相当な『努力』が必要です。
これは努力です。
『つい…』
『やっちゃった…』
こう言いながらまた同じことを繰り返すのは、実は楽なんです。
このあとの『あぁあ〜、私ってダメな人間だ』と毎回の後悔で自ら『出来ない自分』を作り出し、落ち込み、自信をなくしていきます。
し過ぎたことの後悔より、途中で止めることができる可能性があると知った方が良いと思います。
小さなことから意図して行動すると、自信にもつながります。
『自分で決めて行動する』。
誰に指示され、無理やりさせられた訳ではなく、自ら決めて行動するのです。
そして行動しないことも、自ら決めて意図的にするのです。
全ては自分のために、です。
『ついつい』の食べ過ぎ・飲み過ぎ・喋りすぎも『やらない選択』を『意図して』やると難しく相当な努力が必要です。
心を整える・体を鍛える・内側を磨く、これも意図して行動するだけです。
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